次の3つの基準を全て満たしたものを「山形牛」として認定しています。
1 山形県内において、最も長く育成・肥育され、
かつ最終飼養地が山形県内である未経産及び去勢の黒毛和種。
2 公益社団法人日本食肉格付協会が定める肉質4等級以上のもの。
︎3 ただし、1の条件を満たし、肉質が3等級についても同様に取り扱う。
深い味わいとまろやかな脂質が魅力の山形牛総称「山形牛」の産地山形県の自然は、四季がはっきりしており、「夏暑く、冬寒く」また、「昼夜の寒暖の差が大きく」、その風土の中で丹精込め長期にわたり肥育された黒毛和種は、肉のキメが細かく、食味が美味しい牛肉といわれ、その美味しさの秘密は脂質にあるといわれております。
山形牛の史実については、遠く「大宝厩牧令」の発布のころに始まるとされていますが、特に天和元年(1681年)米沢藩主上杉綱憲公の文書によると、置賜地域では南部地方(岩手県)より「上り牛」と称して2〜3才の牛を移入し、農耕・運搬・採肥の目的で飼育したかたわら、牛の肥育を始めたところ、風土に恵まれ、良い肉牛が産出されました。
たまたま維新の当時、米沢学館に招請した英国人ヘンリー・ダラス氏 (1841~1894年)が当地産肉牛を横浜に送り食したところ、その肉質が佳良美味であったとのことより、置賜地域の肉牛が米沢より出荷されたので、「米沢牛」の名声が広まりました。
その後、肉牛生産も置賜地域・村山地域を基点として、逐次県内全域に普及されるにしたがい、肉牛の出荷も東京・大阪等に移出され、年々増加している状況にありました。
山形牛の名声は米沢牛に始まり、飯豊牛、西川牛、天童牛、東根牛等県内各地に於いてつくり出されました。このようなときにおいて、昭和37年安孫子藤吉山形県知事(当時)の首唱により、県内産肉牛の品質・規格を統一するために「総称 山形牛」と銘名されました。
山形牛の産地証明書
山形牛のシール